津山登志子さんの晩年は、悲劇と苦悩に満ちたものでした。彼女は1954年に東京都で生まれ、成派女優として多くのテレビドラマや舞台で活躍しました。1970年にデビューし、その後も「春の壺」や「天下ごめ七瀬再び」などに出演し、昭和50年代には「トランジスタ女優」として広く知られる存在となりました。しかし、私生活は波乱に満ちていました。
1980年に演歌歌手の門川浩さんと結婚し、一人娘のくみさんを授かりますが、1996年に離婚しました。離婚の背景には、門川さんによる暴力の存在があると津山さんは主張していますが、門川さんはその点について沈黙を守っています。その後、津山さんはシングルマザーとして娘を育てる一方で、芸能界への復帰を果たしました。
しかし、母娘の関係は次第に悪化し、津山さんは娘の結婚相手に対して裁判を起こすなど、執着心が強くなりました。くみさんは、母からの支配的な愛情に苦しみ、最終的には絶縁を宣言します。津山さんは精神的な問題を抱えるようになり、入院を余儀なくされ、ここから彼女の状況はさらに深刻化しました。
2023年3月12日、津山さんはマレーシアで心臓発作により亡くなりました。69歳という若さでの死は、彼女の過酷な晩年を象徴しています。事務所関係者によると、彼女は双極性障害やうつ病に苦しみ、麻薬に手を染めるまでに至ったといいます。壮絶な生涯を送った津山さんの死は、彼女が抱えていた内面的な苦悩を物語っています。