柏原に対し、不倫裁判で300万円の支払命令
12月13日、人気女子プロゴルファーの柏原明日架(28)が、自身のインスタグラムを更新。長い黒髪をバッサリと切り、「#スッキリ」というハッシュタグと共に、ショートボブヘアになった姿を公開した。美人ゴルファーとして知られる柏原の突然のイメージチェンジに、SNSでは《比嘉愛未かと思った》《モデルみたい》などと称賛の声が上がっている。
柏原は、’19年に日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)ツアーで初優勝を果たし、メジャー大会でも好成績を収めている。アイアンショットの精度が高く、グリーン周りでのアプローチに定評がある。私生活では’24年2月、自身のインスタグラムに純白のドレス姿の写真を投稿し、入籍を報告していた。
そんな柏原に12月10日、東京地裁で被告として争ってきた不倫裁判の判決が下った。
「現代ビジネス」が柏原の不倫騒動を報じたのは’24年3月のこと。不倫相手A氏の妻Bさんに訴訟を起こされ、慰謝料を請求されているという内容だった。12月10日に東京地裁で下された判決は柏原に対し、妻Bさんに300万円を支払うよう命じるものだった。
名実ともに認められている人気ゴルファーが、数年前まで妻子ある男性と不倫関係にあったというのだが、その不倫相手A氏とは、柏原のキャディーを務めていた人物である。裁判記録からわかるその不倫の内容とは──。
「は? 何言ってんの?」と一蹴
原告である妻Bさんが二人の関係に疑いを持ち始めたのは’20年11月頃。A氏が柏原と深夜でも早朝でも頻繁に連絡を取り合っていることが分かった上、A氏が家に帰る日が減り、家の中で肌身離さず携帯を持ち歩くようになったことに不信感を抱いたのだ。A氏とBさんとの夫婦仲はギクシャクし始め、思い悩んだBさんは柏原に連絡を取るが、辛辣な言葉を投げかけられる。
〈私は夫との険悪な関係に耐えられなくなり、子供たちのためにも夫との関係を修復しなければと考え、意を決して初めて被告に対して電話をかけました。電話に出た被告に、家族の仲が険悪になってしまっているから、連絡を取る時間など考え、夫との距離を保ってほしいと話したところ、被告からは、「は? 何言ってんの?」と強い口調で一蹴され、電話を切られてしまいました〉(Bさんの陳述書より)
裁判によれば二人の不倫関係は’20年10月頃から始まり、なんと翌年には都内のマンションで同棲を始めていたという。
〈’21年(原文では令和3年)1月、合宿先から戻り羽田空港に着いたはずの夫が、そのまま家に帰ってこなくなりました。最初は、コロナの関係で1週間ほど隔離されるのだという話を電話でしていましたが、どこで隔離されているのか聞くと、返事に窮している様子でした。1週間を過ぎても家に帰らず、その後は知り合いの社長さんの家に泊めてもらっているという話を繰り返されました〉(Bさんの陳述書より)
結局、Bさんは’21年2月に調査会社を使って二人を調べ、不倫関係にある事実を知ることとなる。柏原の当時のマネジメント会社、柏原の両親はBさんより早く二人の関係を知り、反対していたという。
〈原告夫と被告は、’20年(原文では令和2年)10月に不貞関係を開始したが、当初被告の両親や被告の当時のマネジメント会社にはそれを隠していた。(A氏の仕事状況の記載のため中略)このころ、ゴルフ界においては二人の不貞関係が徐々に広まってきていたため、被告の当時のマネジメント会社が不貞関係を知るに至り(A氏の仕事状況記載のため中略)被告の親にこれを告げた。
被告の親はこれを聞いて怒り、二人の交際を反対し、原告夫は合宿期間途中で被告のキャディーを外れることとなった。被告は、マネジメント会社や親から原告夫との関係を解消するように言われたが、これを聞き入れず、東京で原告夫と同棲をはじめた〉(第一準備書面より)
半ば駆け落ちのような形で同棲を始めたわけである。恋愛に夢中で二人には周りの状況が見えていなかったのだろうが、Bさんは悲惨な状況だった。A氏とBさんの間には3人の小さな子供がおり、一番下はまだ0歳。それにもかかわらず、夫は駆け落ち同然に家を出て行き、’21年2月頃から離婚を要求された。
柏原が行ったとされる“兵糧攻め”
〈私は、被告との不倫により夫が家を出て行ったことで、非常に気持ちが落ち込み、突然涙が止まらなくなったり、眠れなくなったり、1か月に5キロも体重が減るなどしました。子供と一緒ではなかなか病院にも行けず、心療内科には数回だけ通い、うつ状態と診断されました。子供の七五三祝いにも、お宮参りにも、父親である夫の姿はありません。子供たちは、パパはかえってこないのかとあどけない顔で聞いてきます。さみしい思いをさせてやるせない思いをしました。(家計状況記載のため中略)私のめまいや不眠、冷や汗、腹痛などは、なかなか回復することはありませんでした。
不眠が続いたせいか、’21年(原文では令和3年)夏ごろから半年近くの間、さらに心身に不調をきたし、軽い記憶障害のような状態になってしまいました。日常の出来事をすぐに忘れてしまうようになり、乳児もいる中でそれは大変だということで、母が(Bさんの個人情報のため中略)頻繁に上京するなどしてサポートしてくれ、なんとか生活を維持しました〉(Bさんの陳述書より)
その精神的な負担は容易に想像できるが、Bさんがこれだけ苦しい思いをしたのは、夫が出て行ってしまったことに加え、もう一つ理由がある。’21年5月頃から、A氏からの生活費の仕送りが滞るようになったのである。A氏が契約者となっているクレジットカードは使えたものの、現金は底をつき、年金や税金などの督促状が頻繁に自宅に届くようになったのだ。なぜ、A氏は家族への仕送りをしなくなったのか? 訴状でBさんサイドはこう主張している。
〈被告は原告夫に対し、早く離婚してほしいと言いつつも、自身がプロゴルファーであるが故の対外的理由から、両者間の不貞関係を離婚理由にしてはならない、と述べ、原告を兵糧攻めにして離婚を早めるように仕向けた。具体的には原告といると仕事のモチベーションがあがらないので仕事ができず、収入も得られない等という理由をつけて、婚姻費用(生活費:編集部註)を支払わないように申し向け、原告夫から原告や原告代理人にその旨連絡させた〉
夫婦の離婚を早めさせるため、柏原が、A氏がBさんへの仕送りを止めるように仕向けた、というのである。ただし、Bさんのこの主張は裁判では棄却されている。しかしながら、
〈後に原告夫の話から、被告は原告夫に対して、原告のクレジットカードも止めるように申し向けていたことが判明した。原告夫が子供たちの生活を考え、被告に対しクレジットカードも止めたと偽っていたとのことであった〉(訴状より)
という証言もあった。もしBさんが控訴した場合、控訴審では一審とは違った認定が出るかもしれない。
家庭を犠牲にし、周囲の忠告も聞き入れず進み続けた二人の熱愛も、1年半ほどで終わりを告げる。’22年3月ごろ、A氏がひょっこり家に戻ってきたのだ。
本誌の質問状に柏原は……
〈突然夫が家に帰ってきました。被告による拘束が強すぎたことと、被告による元カレの(個人が特定できる内容のため中略)悪口が多すぎて嫌気がさし、さすがに一緒にいられなくなった、という事でしたが、そのような理由は、夫を許していない私にとってはどうでもいいことでした。夫からは、被告がまだ別れたくないと述べているLINEまで見せられました。
私は夫を家に入れたくないという気持ちでいっぱいでしたが、これまでの経緯を伝えていない子供たちが久々に父親に会えて喜ぶ顔を見て、また生活が苦しいことや家が夫名義であることなどもあり、追い出すことはできませんでした〉(Bさんの陳述書より)
現在、夫婦は離婚していないが、Bさんの陳述書には、
〈夫婦関係が戻るというようなことはもちろんあり得ません〉
とも記されている。一つの家庭を壊す大きな原因を作ってしまった柏原はどう思っているのか? 彼女の答弁書にはこうある。
〈原告夫から、原告との婚姻関係は破綻していると告げられたため、原告夫との不貞関係に至ってしまった。当時24歳と若かった被告は、13歳も年上の原告夫の「婚姻関係は破綻している」との言葉を信じ、その言葉を疑うことなく鵜呑みにしてしまった。被告は、自身の行為を浅はかであったと深く反省しており、本件の不貞行為により、原告に精神的苦痛を与えてしまったことに対して、申し訳なく思い、損害賠償金を支払うべきであると考えている〉
Bさんはこの裁判結果をどう思っているのだろうか?
フライデーデジタルの取材にBさんはこう答えた。
「裁判が終わったばかりで、今の段階でお話しすることは難しいです。(控訴に関しては)弁護士の先生と相談中でまだわからないです」
一方、柏原にも質問状を送った。判決をどのように受け止めているか。また、Bさんの家庭を壊し、つらい思いをさせた事について、どう思っているのか。そして、A氏に離婚するようプレッシャーをかけたり、A氏がBさんへの仕送りを止めるように仕向けたというのは事実なのか、以上の3点だが、
「コメントすることはありません」
との回答だった。
4年に及んだ不倫騒動はこのまま解決へと向かうのだろうか。