
主演を務めた吉沢亮が演じる喜久雄の物語は、歌舞伎の世界に身を投じた任侠の男の生涯を描いており、公開からわずか7カ月で日本だけでなく、ロサンゼルスやニューヨーク、さらにはフランスでも上映されている。しかし、その栄光の裏側で、万華鏡のように変化する世間の評価は対照的だ。『国宝』は雑誌『映画芸術』が発表する毎年恒例の「日本映画ベストテン&ワーストテン」で2026年のワースト1位に選出され、その結果に対する反響が広がっている。
この批評誌が洗練された厳しくも精度の高い評価を提供していることは良く知られているが、今年の驚愕の選考結果は関係者に一体何をもたらすのか? 映画業界人の間では、「これはいつも通りだ」と冷静な受け止め方をする者もいる一方で、一般視聴者からは混乱と失望の声も上がっている。特に、映画の彼自身のキャラクターや社会構造に対する掘り下げの浅さは、着目されるべき点であり、多くの観客がこの評価に納得する要因となっているようだ。
実際、従来の『映画芸術』のスタンスに至った背景を考察してみると、この批評誌は商業的に成功した作品に対して特に厳しい目を向ける傾向がある。『国宝』のように話題性がある一本に関して、批評家たちが求める深みや革新を満たすことができなかった結果として、受け入れられたのだろう。また、作品内で描かれるテーマ―差別や権力、男色など―へのアプローチが鈍いと感じられた点も、厳しい批評の原因となったといえる。
吉沢亮をはじめとする出演陣の巧妙な演技や、歌舞伎シーンの美しさも高く評価されている中で、脚本とその展開の雑さに批評家は傾注し、そんな彼らの意見に多くの観客が共感を持つ事態となっている。実際、SNS上では「歌舞伎シーンに費やした時間と力に対し、日常的な描写が薄い」といった意見が溢れ、「『映画芸術』の評価は、我々映芸に慣れた人間には驚きではない」といった声も寄せられている。
世間の強い感情と思惑の変化は、映画自体が抱える矛盾と課題をさらけ出すものである。『国宝』は興行的には成功を収めたかに見えるが、その裏に隠された作品としての評価に関する苦悩は、映画制作の現場での厳格な競争を浮き彫りにする。不名誉な評価とは裏腹に、この映画が日本映画史に残す功績は明白だが、それが果たして未来の映画制作にどのような影響を及ぼすのか、今後の動向が注視される。
もはやこの騒動は単なる批評に留まらず、日本映画界の未来を見据えた重要な対話の場となりうる。『国宝』のことを語ることは、単なる映画の評価を超え、文化や価値観が交差する歴史の一ページを意味する。人々がこの映画に対してどのように反応し、どのような未来を描き出すのか、目が離せない。現状の映画界に何が求められているのか、思索せざるを得ない瞬間が訪れている。『国宝』がもたらした波紋は、フィルムのスクリーンを超え、我々すべてに問いかけるテーマとして今後も語り継がれることになるだろう。