元ウェザーニュースキャスターでフリーアナウンサーの檜山沙耶が19日、所属事務所を通じて、プロテニスプレイヤーの西岡良仁と結婚したことを発表。ORICON NEWSの取材に応じ、喜びの声を寄せた。 檜山は「私事で大変恐縮でございますが、一部報道にありましたようにかねてよりお付き合いさせていただいておりましたプロテニスプレイヤーの西岡良仁選手と結婚いたしました」と報告。「私たちから、2人にとって記念となるしかるべき日に皆様にしっかりご報告をしたいと準備をしている矢先での思いがけない報道にとても驚き戸惑ってしまいました。と同時にそのような形でまず先に皆様に伝わってしまったことが悲しく本当に申し訳ない気持ちです」と、一部メディアで先んじて報じられたことについて言及。「そういった中でもたくさんの温かい励ましやお祝いのお言葉をいただき皆様からの優しさに胸がいっぱいになりました。ありがとうございます」と感謝した。 共通の趣味である『ポケットモンスター』がきっかけだったといい、「趣味が同じで知り合った私たちですが、2人で思いやり支え合いながらお互いの理解を深めてまいりました」と経緯を明かし、「これからも笑顔と感謝の気持ちを忘れずに自分らしく公私共に精進してまいりたいと思います」と決意をつづった。最後に「今後とも温かく見守っていただけますと幸いです」「引き続きご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます」と結んだ。 また、檜山はORICON NEWSの取材に応じ、西岡のどんなところに惹かれたかについて「家族や友人を大切にする明るいお人柄に惹かれました」と回答。「私にはない魅力的な部分をたくさん持っていて、正しいと思うことや自分のやりたいことへ突き進む強さ、私生活でも私が失敗してしまった料理を笑って食べてくれるような優しさを持つ人です」と具体的なエピソードを明かし、「この人とならこの先の人生、楽しい時も苦しい時も一緒に分かち合えるなと感じ結婚しました」と結婚に至った理由を説明した。 今後の芸能活動については、「これからもファンの方とのご縁を大切にしていきたいです」とし、挑戦していきたいこととして「二度とない自分の人生、一瞬一瞬を刻みながら言葉を紡ぐ事です。アナウンサーという声のお仕事をさせていただきながら、SNSやFC(ファンクラブ)内でブログやエッセイを書き、言葉を紡いでいくことができましたら幸甚に存じます」と伝えた。
あまりに突然の出来事だった──12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。 所属事務所は12月8日、中山さんの公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました」と発表し、死因は「入浴中の不慮の事故」と伝えた。 1980年代半ばから90年代にかけ“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんだが、生前、幼少期のエピソードについてはあまり語らなかったとされている。【前後編の前編】 そんな彼女も、2012年の自著『なぜなら やさしいまちが あったから』(集英社文庫)で自身の幼少期や家族について赤裸々に綴っていた。その中には、当時の暮らしぶりを表したような一節がある。 〈はじめましてとさようならはいつもセットだった──〉 “別れ”の連続だった幼少期 さかのぼること1970年3月、中山さんは長野県の自然豊かな町で生まれた。ある芸能記者は言う。 「ご両親は地元でスナックを経営されていたようです。中山さんが3歳の頃におふたりは離婚しており、彼女には実父の記憶がほとんどないといいます。その後は実母と妹で女優の中山忍さん(51)と東京へ引っ越しましたが、母子家庭のためか生活が苦しく、中山さんは台所の砂糖を食べて空腹をしのいだこともあったそう。 上京してほどなくお母さんが昼夜問わず働き詰めになり、ほとんどの時間を親戚の自宅で過ごすことになりました。 芸能界については幼稚園に入るころからすでに憧れがあったようで、親戚の家では段ボールの上に乗って『キャンディーズ』や『ピンク・レディー』の曲を歌っていたこともあったとか」 のちに中山さんはこの親戚を、トーク番組『A-Stᴜdio』(TBS系)で“育ての親”だと述べている。なかでも叔父にあたる男性については「本当の父親のように家族の一員として接してくれました」と語っており、忙しい母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようだ。 そんな“第2の父”ともいえる男性だが、中山さんの世話をしている間に若くして亡くなってしまう。幼少期の短い間で二度も“父親”を失う体験をした中山美穂さんは、前出の自著でもその存在と自身の恋愛観を重ねてこう振り返っていた。 〈思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた〉 この失望から束の間、中山さんにとって大きな出来事が起きる。 「中山さんが10歳くらいの頃、お母さんが秋田県出身の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。1982年にはその義父との間に弟も生まれており、その頃の中山さんは子どもながらに『寂しいけど、長女だからしっかりしないと』と感じていたようです。 また両親の仕事の関係で、都内で何度も引っ越しを繰り返していたことから友人と呼べる人がほとんどいなかったともいいます。連載をしていた女性誌のエッセイでは、当時の生活を『帰る場所がなかった』というふうに語ったこともありました」
巨人から海外𝐅𝐀権を行使してオリオールズへ移籍が決まった菅野智之投手(𝟑𝟓)が𝟏𝟗日(日本時間𝟐𝟎日)にオンラインで記者会見した。𝟏年契約で年俸𝟏𝟑𝟎𝟎万ドル(約𝟐𝟎億円)。 決断の理由を「素晴らしいピッチングスタッフ、プレーオフ、ワールドシリーズで勝ちたいという熱意が伝わってきた。純粋にここでプレーしたいと思った」と語った。 日本で𝟏𝟐年プレーした上での決断に「全然難しくない決断。この舞台に立つのが夢だったので。ある程度日本ではやれたと思う」と力を込めた。 メジャー挑戦のきっかけは𝟐𝟎𝟏𝟕年の𝐖𝐁𝐂だとし、「ドジャー・スタジアムで投げて心から明確に(メジャーで)投げたいと思った」とあらためて振り返った。 目標については「日本では日本一になれなかった。ワールドチャンピオンを目標にしたい。(個人の)数字的なものは経験していないので分からない。𝟏年間ローテーションを回れたら(結果はついてくる)」と胸を張った。 前巨人監督で伯父の原辰徳氏(𝟔𝟔)とは「(契約が)決まって、報道が出る前に連絡した。すごく喜んでくれましたし、成長した姿を見せたいと思う」とやりとりがあったことを明かした。 「不安だったり、心配はしていない。𝟏𝟐年間の経験は生きると思う」。オールドルーキーの活躍に期待だ。