北九州中学生殺傷 43歳容疑者、黒のワンボックスカーで現場訪れたか

北九州市小倉南区のファストフード店で𝟏𝟒日夜、中学𝟑年の男女𝟐人が刃物のようなもので殺傷された事件で、男子生徒に対する殺人未遂容疑で逮捕された同区長尾𝟐、無職、平原政徳容疑者(𝟒𝟑)が自己所有の黒のワンボックスカーで現場に訪れていたことが県警への取材で判明した。店舗の駐車場に事件の十数分前に到着していたとみられる。 【図】𝟐人が刺された時の店内の状況 県警は現場周辺などから𝟏𝟎𝟎以上の防犯カメラ映像やドライブレコーダーを収集。精査した結果、平原容疑者の関与が浮上したという。 逮捕容疑は𝟏𝟒日午後𝟖時𝟐𝟓分ごろ、同区徳力(とくりき)𝟏の「マクドナルド𝟑𝟐𝟐徳力店」でレジの最後尾に並んでいた市立中𝟑年の男子生徒の腰を刃物のようなもので刺して殺害しようとしたとしている。平原容疑者は「確かにしました」などと容疑を認めているという。 県警によると、生徒𝟐人は𝟏𝟒日午後𝟖時過ぎに一緒に入店。女子生徒は腹を、男子生徒は腰を𝟏回ずつ刺された。𝟐人の体には身を守ろうとした際にできる防御創はなく、不意に襲われたとみられる。 女子生徒の死因は失血死。男子生徒も致命傷になりかねない深い傷を負って入院治療中だが命に別条はなく、「全く知らない人に刺された」という趣旨の説明をしていた。【河慧琳、井土映美】  

急死の中山美穂さん“育ての親”が今朝明かしたデビュー秘話…「両親に立派な家を建ててあげたい!」

「突然たくさん連絡が来て、恐らく美穂の訃報の件だと思ったんですけど、あまりのショックに放心状態で…」 こう語るのは、 6日に都内の自宅で死亡しているのが見つかった中山美穂さん(54)を発掘した所属事務所ビッグアップル創業者の山中則男氏。この日は大阪市内でクリスマスコンサート2公演が予定されていた中山さん。待ち合わせ場所に来なかったため、所属事務所関係者らが自宅を訪問し、浴室で動かなくなった中山さんを見つけ、駆け付けた医師らによって死亡が確認された。同日昼過ぎに訃報を聞いた“育ての親”は動揺のあまり言葉を失っていたというが、7日朝、山中氏が日刊ゲンダイの取材に応じてくれた。 14歳の時、1985年放送のTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビューした中山さん。思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマだったが、刺激的なシーンやセリフも見事に演じきった。 「この時代に放送したら、それこそ『不適切にもほどがある!』とS NSで拡散されそうなぶっ飛んだ内容でしたね。当時も大手事務所ならお断りするような過激な内容だったと思いますが、彼女も私もこれからの立場だったので喜んで仕事をお引き受けました。それでも、美穂はそれまで満足に演技のレッスンを受けたことがなく、ほぼぶっつけ本番の状態。しかも、まだ中学生なのにあの内容でしょう。さらに撮影は朝から晩まで…。TBS緑山スタジオに泊まり込んでぶっ通しですよ。現場で思わず美穂が泣き出したなんて話も聞きました。それでも彼女は根性が座っていて、“イヤだ”“辛い”と泣き言やワガママを言って我々を困らせたことは一度もありませんでした」 このドラマで大沢徹役で共演した木村一八(55)は6日、訃報を受け所属事務所を通じて《中山美穂さんの突然のご逝去を知り、言葉にならないほどの悲しみに包まれています。慣れないドラマの撮影を皆んなで励まし合いながら乗り越え笑い合った出来事が昨日のことのように思い出されます。どうか安らかにお休みください》とコメントを寄せた。 ■オーディションに落ちまくっても諦めなかった 「美穂のデビュー当時は石川秀美や堀ちえみみたいな優しい印象がする“タヌキ顔”が主流で、眼力の強い“猫顔”はあまりウケなかったんです。だから、『毎度おさわがせします』が決まるまでにはそれこそオーディションには何度も落ちまくっていました。それでも本人が決してデビューを諦めなかったのは、“お父さん、お母さんに立派な家を建ててあげたい”という明確な目標があったからでした。事務所に入る時、涙ながらに彼女にそう言われて私も心を打たれました。実際、しばらくして美穂は都内に親御さんに家を建ててあげています。とても芯の強い、親孝行のお嬢さんでした。“育ての親”なんて言って貰えて私は今も感謝しています。彼女はとても大切な宝物でした」

悲惨すぎる…実在した最悪の事故がモデルの邦画(2)突っ立ったまま凍死…日本史上未曽有の遭難事故とは?

交通事故に航空機事故、そして原発事故―。これまで数々の大惨事が日本列島を揺るがしてきた。一方で、歴史に残る事故は、たびたび映画の題材となり、観客にカタルシスをもたらしてきたのも紛れもない事実だ。今回は国内で起きた事故をテーマにした映画を𝟓本セレクト。映画の見どころに加えて、史実も解説する。第𝟐回。(文:編集部) 『八甲田山』(𝟏𝟗𝟕𝟕) 上映時間:𝟏𝟔𝟗分 監督:森谷司郎 原作:新田次郎『八甲田山死の彷徨』 脚本:橋本忍 出演:高倉健、北大路欣也、島田正吾、加山雄三、丹波哲郎 【作品内容】 日露戦争開戦直前。零下𝟒𝟎度でも戦えるロシア軍との戦闘には雪や寒さに慣れることが必要と考えた旅団長の友田少将(島田正吾)と参謀長の中林大佐(大滝秀治)は、弘前第八師団の第四旅団本部で会議を開催。八甲田での雪中行軍演習が決定した。「雪の八甲田を歩いてみたいとは思わないか」という友田少将の言葉に恐れおののく青森第五連隊大尉の神田(北大路欣也)と弘前第三十一連隊大尉の徳島(高倉健)だったが、上官の命令には逆らえない。かくして、雪すさぶ八甲田山への地獄の行軍が幕を開けた-。 【注目ポイント】 青森市南部にそびえる八甲田山。この山は、冬には𝟐𝐦近くの雪が降り積もるとされ、国内でも有数の豪雪地帯として知られている。そんな八甲田山で悲劇が起きたのは日露戦争開戦直前の𝟏𝟗𝟎𝟐年のこと。寒冷地でのロシアでの戦闘を想定した行軍に参加した日本青森第五連隊総勢𝟐𝟏𝟎名が遭難し、なんと𝟏𝟗𝟗名もの兵士が命を落とした。 本作は、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を原作に、日本史上未曽有の山岳事件を描いた映画である。脚本は『七人の侍』(𝟏𝟗𝟓𝟒)や『砂の器』(𝟏𝟗𝟕𝟒)など数々の名作を手掛けた橋本忍で、監督は森谷司郎が務めている。 高倉健に三國連太郎、北大路欣也、丹波哲郎と、当時の日本を代表する豪華キャスト陣が出演している本作。あまりの内容の暗さから、公開前は、ヒットしないのではないかと映画関係者から危惧されていたというが、キャスト陣のネームバリューやテレビ𝐂𝐌による宣伝効果もあり、興行収入𝟐𝟓億円という空前の大ヒットを記録した。特に神田大尉が叫ぶ「天は我々を見放した…!」というセリフは、当時の流行語になったという。 とはいえ、内容はやはり陰惨だ。特に、兵士たちが同じ場所をぐるぐると回っているシーンや、兵士がズボンのファスナーを下ろせずに尿を漏らしながら凍死するシーンの恐ろしさはトラウマもので、とても大衆ウケした作品とは思えない。特に強烈なのが、発狂した兵士が服を脱ぎ、ふんどし𝟏丁で凍死するシーンだろう。これは「矛盾脱衣」と呼ばれる雪山特有の現象で、血管収縮によって身体を温めようとする人体の働きが過剰に行われることで脳が暑いと錯覚することが原因と言われている。 そして、本作を語る上で外せないのが、助監督が「寿命が𝟐年縮んだ」と語るほどの過酷なロケだろう。何を隠そう本作、史実同様、冬の八甲田で撮影されているのだ。しかも監督の森谷とカメラマンの木村大作は、一切の妥協を許さない。現場では、「吹雪待ち」にキャスト・スタッフを雪の中𝟒時間放置したり、より良い画を求めて湖に飛び込んだりとやりたい放題で、多くのキャストが凍傷にかかったという。また、裸で凍死する役を演じた原田君事に至っては、全身が紫色になるほどの凍傷を負い、撮影後数日は起き上がることができなかったのだとか。正直、𝟏人も死者が出なかったのが奇跡としかいいようがない。 なお映画では美談になっているものの、史実では、出発前日に宴を開いたり手ぬぐい一本だけ持って行軍に参加したりといった明らかな準備不足が事故の引き金になったようだ。読者の皆さんも「雪中行軍」の際はくれぐれも気をつけていただきたい。 (文:編集部)