【三田佳子】大女優のあらぬ姿

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女優・三田佳子の波乱万丈なキャリアと魅力に迫る

昭和の美人として名を馳せた女優・三田佳子さん(本名:美田よし子)は、1941年10月8日に大阪府で生まれました。彼女は中学3年生の時に劇団に入団し、若い頃からテレビやラジオに出演。高校在学中には多くの映画会社からスカウトを受けるも、しばらくはそのオファーを断り続けました。しかし、1960年に第2投映に入社し、18歳で女優デビューを果たします。

デビュー作では、当初予定されていた共演者が事故に遭い、急遽新しい相手役として梅宮達夫が抜擢されるという衝撃的な展開がありました。この出来事は、彼女にとって大人の世界の厳しさを痛感させるものであったといいます。1967年には東映を退社し、フリーとして活動を開始。以降はテレビドラマや舞台を中心に活躍し、特に1973年のNHK大河ドラマ「国取り物語」への出演が評価されました。

プライベートでは、NHK大阪の制作部副部長と結婚し、家庭生活と女優業を両立させました。1984年には「Wの悲劇」でその演技力が高く評価され、各映画賞を受賞。彼女の才能は脚本家・橋田壽賀子からも注目され、国民的女優としての地位を確立しました。

さらに、1991年から1994年まで俳優タレント部門で首位を獲得し、宝島社の「日本の女優100人」にも名を連ねるなど、三田佳子さんは日本のエンターテインメント界において不動の存在感を示しています。彼女のキャリアは、努力と才能の結晶であり、今後の活躍にも期待が寄せられています。