中日、阪神、楽天の3球団でリーグ制覇を成し遂げた闘将・星野仙一。大学時代から知る江本孟紀さんが見た、リアルな闘将の素顔とは。『僕しか知らない星野仙一』(カンゼン)より一部転載でご紹介します。〈全6回〉
たとえ嫌われ者であっても、使いこなす星野さんのすごさ
星野さんの監督としてのキャリアを語るうえで、欠かせないが「リストラ」だ。とくに2002年のオフ、阪神が大量の選手を切ったのだが、その数は24人にのぼる。
このとき編成担当をしていたのは黒田正宏だった。僕と同い年の法政時代の同窓生である彼は、前任の野村さんにその腕を買われて阪神に来ていた。
だが、黒田については、悪い話ばかりが聞かれた。ダイエー時代、当時の田淵監督の下でヘッドコーチを務めていながら裏切った。そのことで、田淵さんを辞任に追い込んだために、「悪党」などと陰口を叩かれたりもした。
ところが、黒田は神経が図太い。ちょっとやそっとのことではへこたれない。それもそのはず、黒田のポジションはキャッチャーだったが、大学時代は田淵さんの陰に隠れて3年間、試合に出場することができず、いざプロ入りしたと思ったら、入った球団が南海だったので、今度は野村さんを超えることができずに「地味な補欠キャッチャー」というイメージのまま現役を引退している。
だが、常に「耐える」立場にいたからこそ、「この程度のことではへこたれない」というメンタルの強さがあった。
みんな黒田は悪いヤツと言うが、オレには…
当然、星野さんだって黒田のこうした一連のことを知らないはずがない。そこで星野さんは阪神の監督に就任した後、黒田を呼んでこんな話をした。
「お前さんは北海道から沖縄まで、どこに行ったって嫌われているぞ。どうしてなんだ?」
なんとも星野さんらしい言い方だが、黒田は憮然としながらこう答えた。
「いや、僕にもわかりません。そんなつもりは全然ないんですが……」
こう言われては、星野さんだってそれ以上は追及をしない。そこで、「よし、わかった。それならこうしよう」ということで、星野さんは田淵さんにこう諭した。
「みんなが『黒田は悪いヤツ』というが、オレには悪いヤツには思えん。それに今はタイガースの編成部長としてがんばっている。みんなでタイガースをよくしなければならないときに、個人的にはどう思っていてもいいが、表面上には絶対に悪い感情を出すなよ」
号泣した黒田に託された“非情の24人リストラ”
こう田淵さんと話をした後、今度は黒田を呼んで、
「いいか、オレは今までのことは知らん。すべて忘れてやる。お前さんの評価は、今後の結果でオレが決めていく。これからはチームのために身を粉にして働いてくれ」
すると、黒田の目からポロポロ涙がこぼれた。腹を割って話してくれたことがうれしかったのだろう。
この話をしてから1年後、黒田の仕事がやってきた。それが24人のリストラだった。
「戦力として見込めない選手を置いておいても仕方がない」というのが星野さんの考え方だ。中日時代、谷沢を切ったとき以上の非情さを見せた。過去の実績あるなしに関わらず、「来季は難しい」と判断した選手をすべて切った。そのなかには、野村監督時代に活躍した遠山奨志、弓長起浩、伊藤敦規らの名前もあった。
リストラ通告するのは損な役回りである。ときには相手から恨まれることだってあるだろう。だが、黒田にしてみれば、星野さんは過去のことを一切水に流し、自分の生かし場所を見つけてくれた恩人である。通告した選手から何を言われようと、徹底的に汚れ役に徹し、大リストラを貫徹させた。
嫌われ者の評判でも「仕事ができる」点を買った
星野さんのすごいところは、自分と合わない、あるいは過去に評判の芳しくない人間であっても、「この男は仕事ができる」と見込んだら、平然と起用できる度量の大きさにある。人間、誰でも人に対して好き嫌いはあるだろうし、自分に合わない人間が部下ともなれば、遠ざけようとしたって不思議な話ではない。
だが、星野さんはそうしなかった。
黒田の「仕事ができる」部分に着目し、そこにいらぬ個人的な感情は入れず、「あとは頼んだぞ」と言うことができた。こんなこと、誰もがマネできる部分ではない。
確かに黒田は嫌われ者という評判ながらも、西武、ダイエー時代には根本陸夫さんの下で野球経営のイロハを学んでいた。その点を星野さんは評価していたのかもしれないが、純粋に仕事の能力だけを見ることができたのは、頭が下がる。
阪神でも「星野仙一を演じていた」からではないか
一方で僕はこうも考えている。黒田を冷静に仕事の部分だけを見られたのは、「星野仙一を演じていた」からではないか。「一個人としての星野仙一」なら、ひょっとしたら黒田のことを排除していた可能性だってある。そう思うと、星野さんのすごさがより浮き彫りになってくるのである。〈つづく〉