岡晴夫さん、薬物により壊された晩年の悲劇
昭和を代表する歌手、岡晴夫さんの生涯は、音楽界の栄光と悲劇が交錯するものでした。「鳴くな小鳩よ」や「憧れのハワイ航路」といった名曲で知られる彼は、54歳で肝臓癌により早逝しました。その背後には、糖尿病や薬物依存の影が潜んでいました。
岡さんは1916年、神奈川県横浜市に生まれ、幼少期を祖父に育てられました。16歳で音楽の道に進み、1938年には「国境の春」でデビュー。戦後の音楽シーンで活躍し、数々のヒット曲を生み出しました。しかし、地方公演に追われ、紅白歌合戦には一度も出場できなかったことは、彼のキャリアの一つの悲劇でした。
晩年、仕事の多忙さから体調を崩し、薬物依存に陥ります。当初は少量のヒロポンを使用していたものの、最終的には1日30本にまで増加。その影響で肝臓癌が進行し、視力も失ってしまいました。治療が進まない中、彼を支えたのは妻や親友の上原元斗さんでしたが、上原さんも1965年に急逝し、岡さんは深い悲しみに包まれました。
それでも、岡さんは舞台に立ち続けたことがファンに支えられた理由でした。1968年には再び舞台に復帰し、多くのファンの前で歌い続けましたが、体調は次第に悪化。1970年5月19日、収録中に意識を失い、そのまま亡くなりました。岡晴夫さんの最後のステージへの情熱は、彼の音楽人生の象徴として、今も多くの人々の心に刻まれています。