堀江しのぶが闘病中に送った親友への手紙と、両親への最期の言葉に涙腺崩壊…莫大な治療費を負担し続けたある人物とは…

堀江しのぶさんが闘病中に親友へ送った手紙と、両親への最期の言葉が心を打つ。彼女は1988年に、スキルス性胃癌により23歳でこの世を去った。愛知県清洲市出身の堀江さんは、1983年にアイドルとしてデビューし、その後、女優やタレントとしても活躍。彼女の人気は高く、数多くのドラマに出演していた。

しかし、1988年3月、シンガポールでの撮影中に体調不良を訴え、帰国後に病院での精密検査を受けた結果、末期の癌が発覚。医師からは余命2ヶ月との診断が下された。堀江さんは治療を受けることになり、両親や関係者には病気の詳細が伏せられた。

堀江さんの治療費は月々300万円近くに達し、彼女の親友である野田義春社長がその費用を肩代わりした。社長は、堀江さんが病気のために仕事を失うことを避けるため、彼女のために様々な仕事を依頼し続けた。彼女は一時回復し、外出許可も得て母親と買い物に行くことができたが、体調は次第に悪化し、最終的には入院先で息を引き取った。

彼女の最後の言葉は「私、仕事がしたい」。この言葉に対し社長は「仕事はたくさんあるからな、仕事しような」と応じたが、堀江さんはそのまま力を失った。彼女が亡くなった後、両親は社長に感謝の言葉を述べ、今でも堀江さんの思い出を大切にしている。

堀江さんの親友である元グラビアアイドルのるゆかりさんは、彼女の最後の手紙を受け取った際、その中に強い仕事復帰への意志が込められていたことを明かした。手紙は彼女の優しさを感じさせる内容で、最後まで相手を思いやる心が表れていた。堀江しのぶさんの生涯は短かったが、彼女の影響は今も多くの人々に残っている。

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